Ep.216
2008年、北京五輪でウサイン・ボルトが与えた衝撃は凄まじかった。
100m、200m、4×100mリレーで「3種目連続世界新記録」を出し3つの金メダルを獲得したのだ。
100mでは、準決勝のレースまでは60mを過ぎた辺りで既に流して走っており、それでも9秒85を記録して解説の伊東浩二さんが「これで9秒85ですか!?」などと驚いていた。
生中継で観ていた人間にとってもまさにその感想以外になく、決勝ではどんなタイムが出るのかと期待が高まった。
その決勝レース。
中盤を超えて既に独走に持ち込んだボルトはラスト10mをあの有名な“横走り”で流し、1位でフィニッシュ。
「9秒69」という、人類で初めて9秒6台に突入する革命的な世界新記録を叩き出した。
伊東浩二さんが必死の形相で2位争いする後続の姿を見て「この人たちも世界トップの人たちなんですよ」
と言っていたのも思い出す。
解説者のコメントまで私は覚えているのだ。
スポーツを観ているとき、自分の記憶に一生刻まれるであろう印象的な一場面にこれまで幾度も遭遇してきた。歴史的な出来事も特別自身の琴線にふれたものも。
それらの中でも、北京五輪男子100m決勝におけるウサイン・ボルトのパフォーマンスは、最上級のものである。
そんな訳で、100mでの印象が強いボルトだが、世界に登場してきたときは200mの方が得意としていた。
前年2007年の大阪世界選手権である。
この大会は100m、200mでアメリカのタイソン・ゲイが2冠を達成した(それもぶっちぎりの強さで)ため、その影に完全に隠れた形となったのだが、ボルトは200mで2位に入っていたのだ。
たまたまこのときのレースもTVで観ていた私は
「すごい身体の大きな選手が2位に入ってる」と感想を抱いたのも覚えている。
そもそも当時まで「100mでは身体の大きすぎる選手は不利」だと言われていた。
それはモーリス・グリーン(アメリカ)の活躍があったためである。
2000年シドニー五輪金メダリスト、1999年に「9秒79」で世界新記録樹立。
90年代後半から2000年代前半にかけて最強最速を誇ったグリーンは、身長176cm。
この身体サイズが生み出す高速のピッチ走法と先行逃げ切り策こそが、100mには適しているとされたのだった。
ボルトのように198cm、94kg(Wikipediaより)という規格外のサイズを持つ選手となると、動き出しが遅く、したがって100mではスタートで致命的なハンデを負うことになるのだと。
その”説”が完全に誤っていたことは後のボルト自身が証明することとなる。
彼のあの身体の大きさは、始動の不利を補い余りあるほど、中盤以降の最高速度と歩幅の広さで、先行するランナーを捉え、追い抜き、誰よりも先にゴールラインを超えることに長けていたのだ。
さらには脊椎側彎症(せきついそくわんしょう。生まれつき背骨が曲がっている疾患)が速く走れる要因、とする”珍説”(?)まで飛び出した。
とにかく、
「この前と言ってることが違うじゃないか」
というのは村田諒太(Ep.148参照)でなくても誰もが思ったことだった。
「 スポーツ科学には様々な定説というものがあるけれど、それは結果が出たものを後から検証し理論化しただけに過ぎないのではないか。僕はそういう疑問を持っている」
「 どこかで新しいものが生まれれば、それが定説となってカリスマや先駆者とか呼ばれるわけで。僕は、今ある基本や定説というものにとらわれすぎてはならないと考えている」
村田諒太、『101%のプライド』(2012年)より
私が以前から考えていたことが同著書にも書かれていたので、完全に同意した。
ところで私も材料技術者なので、いかに”説”がいい加減なものか、というのが分かる。
研究開発の報告会や技術資料において、ある実験結果が上手くいくと、その考察が求められるため何らかの理論や理屈を持ち出し「これが上手くいった理由です。これに従って更なる向上を目指します」などと言う。
しかしさらにデータ取得が進み、先のモデルでは到底説明できない結果や事象が現れると、今度はまた「先とは異なる理論や理屈」を持ち出してくる。
”論理的”に上司や周囲を納得させるためには、もっともらしい何かを持ち出すしかないのだ。
だから「この前と言ってることが違うじゃないか」となる。
純然たる「結果」がまずあって、その後科学が理論づけるのである。
理由は後付け。しかもいくらでも都合よく”解釈”できるのだった。
これをスポーツで考えると、
競技会での結果(実験結果):「◯◯の身体的特徴を持つ選手が足が速いことが判明」
→ 「その理由は〜〜」(科学的解釈)
であり、その逆はない。つまり、
「科学的に△△の身体的特徴を持つと競技力が向上するはずだから、そのためのトレーニングをしよう」(仮説)
→ その選手が五輪金メダル獲得(実験結果)
とはなっていない。
グリーンやボルトのように成功した特定のアスリートが”先例”となって、そこから科学が動き出すのだった。
ちなみに近年の材料開発の現場では、いちいちモノ(分子や樹脂や組成物)を創って一つ一つ実験評価するのをやめ、良い性能になりそうなモノを高確率で”予想”し、従来の実験プロセスを省略化しましょうよ、というのがAIやMI(マテリアルズインフォマティクス)という技術なのだが、果たして..
というようなことを書くと、ますます横道に外れていくのでここから本論に入ると、2024年パリ五輪、三重県から陸上短距離種目に出場しら選手がいる。
上山紘輝選手と川端魁人選手である。
2人とも、松阪市出身だ。
<松阪市出身の2024年パリ五輪選手1:上山紘輝>
上山紘輝(うえやまこうき)選手は宇治山田商業高校(伊勢市)→近畿大学→住友電工。
最も得意な種目は200mで、23年10月のアジア大会で優勝して「アジア最速」のスプリンターになった。
その後24年6月の日本選手権は2位となりパリ五輪の200m出場を決めた。
ただ特筆すべきは、4×100mリレーのメンバーとしても活躍していることである。
先述のアジア大会では3走を務めて2位に、24年5月の「世界リレー」でも3走で4位に貢献し、この種目での日本の五輪出場権獲得を決めた。
今回のパリ五輪日本代表の男子100mの選手で強い順番でいうと、サニブラウン、坂井隆一郎、東田旺洋、栁田大輝、桐生祥秀選手であるが、五輪以外の大会で4×100mリレーにおいて常に彼らを揃えるのも難しいようだ。
そんな中、昨年から常にメンバーに選ばれてレースに出走しているところに、上山選手の強さと、コーチ陣からの絶大な信頼がある。
そのパリ五輪。
個人種目の200mでは予選と敗者復活ラウンドで走るも準決勝進出ならず。
コンディションが上がらずタイムがついてこないからか。浮かない顔でレース後のインタビューに応えていたのが痛ましかった。
しかし同選手に期待がかかるのはここから。4×100mリレーの予選にはアンカーで出走し、組4位で決勝進出に導いた(サニブラウン→栁田→桐生→上山)。
正直に言うと、五輪では4×100mリレーで上山選手の起用はないかもと私は思っていた。
個人種目の100mには3選手(サニブラウン・坂井・東田)が出たし、当該リレーでは「第3走のスペシャリスト」として桐生選手もいたからだ。
上記で既に4枠は埋まっているし、栁田選手もいる。何よりも最も地力の高いサニブラウン選手が当該リレーに出るならば、上山選手に出番はないのかなと。
同決勝レース。しかしアンカーには、変わらず上山選手の姿があった。
チームは5位。目標の金メダルには届かなかったが、東京五輪2020の痛恨の失格(バトンミス)から立て直して世界大会入賞常連としての力を示した。
このレース、第3走(桐生選手)からアンカーへのバトンリレー時点では日本は1位だった。そこから最終的に5位でフィニッシュすることになったわけだが「アンカーの走力で負けた」とするのは誤りだ。
“見かけ上”そうなっただけであって4人全員の実力で劣っていたことに違いはない。最終的にカタチとして現れるのがアンカーなだけだ。
五輪前の大会も五輪本番も。常に4×100mリレーで起用された「100mが専門ではない」上山選手。そこに日本代表コーチ陣からの、同選手への絶大な信頼があった。
<松阪市出身の2024年パリ五輪選手2:川端魁人>
川端魁人(かいと)選手は400mの選手で、宇治山田商業高校(伊勢市)→中京大学→中京大クラブ。(2人とも同じ出身校の宇治山田商業。野口みずき(Ep.142参照)も輩出した陸上の強豪)
東京五輪2020に続き、2回目の五輪出場である。
東京五輪時は何と現役の中学校の教員だった(鈴鹿市立創徳中学校)。
夢も持つことや目標を達成することの尊さを生徒たちに伝えるにあたり、これほどまでに説得力のある先生はいない。
24年6月の日本選手権400mでは4位となり、先着された3選手(中島佑気ジョセフ・佐藤風雅・佐藤拳太郎選手)に個人種目での出場は譲ったものの、4×400mリレー(マイルリレー)のメンバーに選出された。
川端選手のマイルリレーでの実績は輝かしいものであり、22年のオレゴン世界選手権では第2走を務めて4位、日本新記録樹立に貢献した。
そしてパリ五輪。陸上競技はオリンピックの“華”とされているので大会中盤以降に始まるし、中でもマイルリレー決勝といえば陸上競技の最終日かつ最終種目に設定されているため、つまりは川端選手にとって大会最終日2日前にして待ちに待った登場だった。
その予選では第2走を務めた。オープンレーンによるポジション争いが鍵を握るマイルリレーの最重要区間である。ここで川端選手は快走を見せ、日本新記録樹立とチームの決勝進出に貢献した。
決勝レースに先駆け、他の3選手はなんと個人400mでの敗者復活ラウンドへの出場を回避してマイルリレーに専念することとなった。
彼らのいかにも“日本的”な決断に否定的な思いを抱いたのは私だけではなかったと思う。
けれど、自分たちの実力が他の世界の一線級に対して劣っていることを認め、つまりは体力の温存と調整力(ピーキング)をリレーのみに注力させることで、メダル獲得への可能性を最大限に拓くという作戦だった。
「マイルリレーで(4人の力で)、五輪メダルを獲る」
それによって初めて“その先の世界”が見える(個人の実力upやチーム日本としての未来につながる)ことを意図した決断だったのかもしれない。4×100mリレーのように。
そして決勝レース。川端選手を含む全員が実力を出し切り、6位。
日本記録を更新する2分58秒33を叩き出したが皆悔しい思いを口にしていた。
メダルには届かなかった。
私は陸上経験はないが、同競技において「自己記録を更新する」ことは、全ての選手にとって等しく価値があり、尊いことだと思う。
とりわけ五輪という最高の舞台で自己記録を更新することは、更に価値が高いことだし、自身に一定の充足感を与えることだとも思う。たとえ結果が目標に届かなかったとしても。
私は今回のパリ五輪、陸上競技のほぼ全ての種目をTVerでダイジェストで見た。「自己記録を更新(世界記録を更新)かつ金メダル獲得」というとてつもないことを成し遂げる選手も中にはいる。男子棒高跳びのアルマンド・デュプランティスや女子400mハードルのシドニー・マクラフリン=レブロンように。(冒頭の2008年北京五輪のボルトもそうだ)
けれどそれ以前に「五輪で自己記録を更新する」「実力を出し切る」ことがどんなに困難なことかと思った。
日本選手の多くは自己記録に遠く及ばず、自身のパフォーマンスに満足していないように見えたからだ。(まあ、大舞台で会心のパフォーマンスを発揮できること自体が“実力”なのだけれど..)
それでいくと会心のパフォーマンスを発揮できなかった上山選手の方が悔しい思いをしたかもしれない。
けれど川端選手も個人種目での出場は逃しているし、目標も果たせなかったので悔しさは同等かもしれない。
ただ、松阪という小さな街から最速のスプリンターが現れ、それぞれ4×100mリレー、4×400mリレーの日本代表として五輪に出場し、ともに入賞に導いた。
それはまぎれもなく、快挙だった。
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The Fastest Sprinters from Matsusaka, Ueyama Kouki & Kawabata Kaito
Ep.216
Two fastest sprinters from Matsusaka city, Ueyama Kouki and Kawabata Kaito participated Paris Olympic games 2024.
Ueyama contributed to 5th place in Men’s 4×100m Relay and also Kawabata did 6th place in Men’s 4×400m Relay.
As only 4 men in each Japanese relay team, it was a great achievement for this regional city, Matsusaka.
https://www.jaaf.or.jp/olympic/paris2024/news/article/20709/
https://www.jaaf.or.jp/olympic/paris2024/news/article/20922/
https://www.chunichi.co.jp/article/929283?rct=mie
https://www.youtube.com/watch?v=yBhnhiCPBz8
https://www.youtube.com/watch?v=xtqBaVER3mw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E7%B4%98%E8%BC%9D
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E9%AD%81%E4%BA%BA
https://en.wikipedia.org/wiki/Usain_Bolt
https://en.wikipedia.org/wiki/Maurice_Greene_(sprinter)