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Channel: みんなの笑顔が三重(みえ)てくる Jima-t’s diary
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四日市あすなろう鉄道 八王子線 四日市近代イノベーションの発火点 旧四郷村より

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Ep.213

以前Ep.163で取り上げた四日市あすなろう鉄道

 

ナローゲージで有名なこのローカル線は、「内部(うつべ)線」と「八王子線」に分かれる。

 

四日市あすなろう鉄道 in あすなろう四日市駅

 

と言っても、今現在、八王子線はわずか1.3km。

日永駅と西日野駅の2駅だけだ。

 

四日市あすなろう鉄道 HPより

 

歴史は古い。1912年に日永駅―伊勢八王子駅が開通。これは内部線ができるよりも前のことであった。

しかし1974年の集中豪雨で両駅間が不通に。

結局、西日野駅は場所を移して復旧したもののそこから先は廃線に。伊勢八王子駅も廃止され現在は「八王子線」の名称のみを残す。

 

 

余談だが、私は東京の八王子市にも日野市にも住んでいたことがある。10年ほど前のことだ。

東京都西部に位置する八王子市と日野市は隣りあう街だが、四日市市八王子町と日野町(正確には西日野町と東日野町)もまた、隣り合う。なんて奇妙なことだろう。

(もう一つついでに言うとここから50km程度しか離れていない鈴鹿山脈の向こう側には滋賀県日野町がある。伝統野菜「日野菜」の原産地(Ep.72参照)である)

 

ちなみに四日市市「日野」の地名の由来とは、“日の当たる野”という意味らしい。そのまんまである。

「八王子」は、“牛頭天王(ごずてんのう)の8人の子ども”の意味である。(いずれもYouよっかいち 22年8月号より)

 

日永駅のホーム

 

四日市あすなろう鉄道八王子線に乗ってみよう。

日永駅から出発だ。

 

西日野駅

 

終点、西日野駅に到着。

乗車時間3分。

 

 

駅周辺を散策してみる。

この辺りは四郷(よごう)地区と呼ばれる。工業都市四日市市の歴史の中でも誇り高い地域である。

 

というのは、江戸時代後期、庄屋の伊藤小左衛門(5世)という人物が生糸と茶の工場生産を興したことに始まり、その甥の伊藤傳七(10世)が「三重紡績」を設立したのである。

三重紡績は近代的な機械紡績業として当時の最先端であり、同社川島工場は三重県最大の工場だったと伝わる。その後他の紡績会社と合併し、東洋紡績株式会社へ。そして「東洋紡」に至る。

 

そう、現在では繊維から化成品、バイオ・医薬関連へとシフトしている大手企業、東洋紡のルーツは、なんとここ四郷にあるのだ。

 

そして八王子町、西日野・東日野町はいずれも旧・四郷村(現・四郷地区)に含まれる。

ここまで書くともうお分かりかもしれないが、四日市あすなろう鉄道の前身、旧・三重軌道は、この地区の生産物(生糸など)を運搬するために設立されたのである。それも住民の有志が軽便としてふ設したのが始まりという。

 

 

さらに歩を進めよう。

近くには四郷郷土資料館(旧四郷村役場)があり、この地区の歴史についてさらに深く理解できる資料と展示があるのだが、これについてはいずれまた紹介する機会があるだろう。

 

 

四郷地区から北に抜けようとすると激しい丘と林にあたる。

ここには(ものは言いようで)「四郷ふるさとの道」と名付けられた散策路がある。

「春の丘」「夏の広場」「秋の小径」である。(冬はないのかよ? と思うのは私だけではないだろう)

 

「春の丘」 6月訪問

「夏の広場」 6月訪問

 

“散策路”と書いたが実際にはあまり整備されていない。人もいない。それ以前にまったく知られていないし、PRもされていない。

 

ただし紫陽花はキレイに咲き誇っていた。知られざる紫陽花の道?!

 

明治時代後期、四日市の片隅の(当時は四郷村の)、山と丘に囲まれ、取り立てて特徴もない田舎でイノベーションが起こった。その村人たちが主導してできた鉄道。

近代産業による特産品と、村人たちの想いを載せて走ったであろうそれは今、「四日市あすなろう鉄道八王子線」として継がれている。

 

 

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Hachioji Line of Yokkaichi Asunarou Railway “Yogo”, From Birthplace of innovation in Yokkaichi

Ep.213

Yokkaichi Asunarou Railway has an extreme short minor one, Hachioji Line, which is only 1.3km, two stations!?

The terminal station, Nishi-Hino belonged to old-Yogo village where modern industry innovation of Yokkaichi was born.

 

In 1910’s, Raw silk thread or Tea were carried by former Hachioji Line that was built, in other word.

Regarding this tiny Line, we can feel dream, desire and much ambition by people in this village at that time.

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%81%82%E3%81%99%E3%81%AA%E3%82%8D%E3%81%86%E9%89%84%E9%81%93%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%B7%9A

 


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